しかし、華やかなセレモニーが続く中で、僕の元には何の連絡もなかった。
シーズン中盤には、「今年で最後かもしれない」という予感めいた思いはあったけれど、終盤になっても何も連絡がないということで、「ひょっとしたら、来季も契約があるのかな?」と思う反面、「もしかしたら、僕には引退試合という場は用意されていないのかもしれない」と、どこか冷めた気持ちも持ちつつ、事態の行方を見守っていた。
「明日、球団に来てくれ」――。
そのひと言で、すべてを察した。
翌日、球団事務所で言い渡されたのは、予想通りの戦力外通告だった。
スワローズの一員としてチームを支えてきたという自負はもちろんあった。90年代、野村克也監督の下で迎えた黄金期、日本シリーズでの胴上げ投手、積み上げてきたセーブの数々……。
こうしたことに対する敬意や、感謝の思いはないのか?
このときの僕の胸の内には、そんな思いがよぎらなかったと言えば嘘になる。
ある関係者から無神経な言葉「呆れるしかなかった」
それでも、それがこの球団の、あるいはプロ野球界の古い体質なのかもしれないと自分を納得させた。いや、頭ではそう理解していても、心からの納得は無理だった。
このとき、ある球団関係者から、「オレは(クビになるのを)知っていたんだけどな」という無神経な言葉を投げかけられた。「この人は何を言っているんだ」と呆れるしかなかった。それ以上に食い下がる気力は、僕にはもう残っていなかった。
すぐに古田さんに電話をすると、「えっ?」と絶句していた。
ファンからの温かいメッセージの束を渡されたりもしたけれど、当時の僕にはそれを受け止める余裕もなく、何もせず、何も言わずに去ることこそが、今の自分にできる唯一の意思表示だ。そう考えていた。
その後、他球団からのオファーを待つ気持ちがなかったわけではない。
セ・リーグの他球団へ行ってスワローズを抑え込むという反骨心も、頭の片隅にはあった。しかし、どこからも正式なオファーは届かなかった。
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Source: なんじぇいスタジアム@なんJまとめ


