転載元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1770132823/

昨年12月にジャンボさんが亡くなって以降、初めて公の場に姿を見せた智春氏は、ジャンボさんの闘病中の様子などについて語った。
ジャンボさんは24年10月から抗がん剤治療を受けていたが、その副作用で調子がすぐれないこともあったという。味覚がなくなり、大好きなうなぎの蒲焼きを差し入れしても「ちょっとな。味が分からないからな」と口にしなかったともあった。
「本当につらい思いをしていたはずなのに、おやじはいたって冷静でした。それに、あの頃は(ドジャースの)大谷くんの試合を見るのが毎日楽しみで。最後までワールドシリーズを見て“面白かった”と喜んでいました。それでワールドシリーズが終わって“楽しみがなくなったな”と言っていたのが忘れられません。それから、生きる気持ちが少しなくなっていったのを感じました」と振り返った。
ジャンボさんは徳島・海南高のエースとして、チームを春の甲子園の優勝に導いた高校球児。智春氏には「俺が投手だったのはよく知られているけど、エースで4番。決勝戦でもタイムリーを打っている。二刀流だったんだ」と打者としてのこだわりも口にしていたという。
それだけに二刀流の大変さも理解できていたのだろう。大谷のプレーには強い思い入れがあったようだ。
「最後は野球でしたね。ほとんどゴルフの試合を見ずに、その(闘病生活の)1年間は大谷君でした」
新宿の病院に、週2回の抗がん剤治療のために通院していた時も頭に被っていたのは、弟子の原英莉花が米国で買ってきてくれたドジャースのキャップだった。
「大谷君のおかけで、1年間楽しく過ごせて、最後の最後にあんな素晴らしい試合を見ることができて、悔いがなかったはずです」と智春氏は父の気持ちを代弁していた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cc51f90c1dc1a1af21c2c68db0fe67000eac3da0
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Source: なんじぇいスタジアム@なんJまとめ

